CROSSBEAT(s). 4



 安積の突然の来訪に、速水は内心ひどく動揺した。だが軽く目をみはり、驚きをしめすだけに留めた。
「どうした。急に俺の顔でも見たくなったのか」
「話がある」
 安積は玄関のドアがしっかりと閉まっているのを確認すると、速水の軽口を無視して率直に尋ねた。
「彼女と結婚するのか」
「彼女? ……ああ、もしかして、ユカのことか」
「あの日、一緒にドレスを見たんだろう」
「さすがはハンチョウ。千里眼だな」
「茶化すな、真面目な話だ。今日、涼子が街で、そのユカさんを見かけたと言っていた」
 速水は目線で、話の続きをうながした。
「彼女は他の男性と、腕を組んで歩いていたそうだ。二人は非常に親しげだったらしい」
 上り口にいるせいで、いつも以上に高い位置にある速水の目を真っ直ぐに見据えたまま、安積は事実を一気に告げた。  速水は安積の迷いのないその姿を、静かに見つめていた。
「これが、告げ口だと思われてもかまわない。俺は、その男性が彼女の兄弟であってほしいと思う。だが、そうじゃなかったとしたら、手遅れになる前に──」
「ハンチョウ。話の腰を折って悪いが、ユカに男がいることは知っている」
「……知って……?」
「ああ。あいつと付き合う前からな」
 だから間男なら、俺のほうだ。速水は肩をすくめてみせながらそう続けると、呆然とする安積に、にやりと笑いかけて言った。
「安心しろ。それに、あいつは結婚詐欺師でもない」
「……」
「話はそれだけか? 気を遣わせて悪かったな」
 署内で顔を合わせた時や、電話でもよかったろうに。速水は苦笑した。
 心配になった安積は夢中で、俺のところに駆けつけてくれたのだろう。寒がる素振りは見せないが、目の前の安積は鼻がすこし赤い。風呂上がりだったのか、髪も心なしか濡れている。
 どんな些細なことでも、気になれば自ら行動し、事実を確認する。安積のこういう他人に対して一生懸命なところが、速水はたまらなく好きだった。
 だが今は、その自分を案じる優しさが、つらい。
 だから平静を装い、微笑みをうかべて帰りをうながした。
「そろそろ、帰ったほうがいいんじゃないか。最終逃すぞ」
 いつもなら、あれやこれやと話を伸ばして安積を引きとめていた速水だったが、安積を想うことをやめると決めた以上、同じ空間にいることは苦痛でしかなかった。
 しかし安積は動かず、速水に静かに尋ねた。
「お前は、それでいいのか」
 速水は、無言で安積を見つめた。安積も速水を見つめ返すと、言葉を続けた。
「彼女にとって、お前だけじゃなくても、この先、共に過ごしていけるのか」
「いいもなにも、あいつが決めることだ。俺にはどうしようもない」
 そう、どうしようもないことが人生にはあるものだ。速水は自嘲気味に思った。俺が安積に魅かれたのも、安積にすでに婚約者がいたことも。それは水の流れにも似た止められないもので、二十代の自分には、どうすることもできなかった。それから更に二十年たった今、流れに逆らうのに疲れてしまった。
「俺は、とうにあきらめてるさ」
「……お前らしくないな」
 ぽつりと安積がこぼした台詞に、速水は怒りに似た強い感情を感じた。こぶしを強く握り締め、ギリギリのところで目の前の安積に掴みかかりたい衝動を抑えつける。
 低く、押し殺した声で、速水は安積に告げた
「俺らしくない、だと? 安積。お前に、俺のなにがわかる」
「速水……」
「忠告は、ありがたく聞いておく。なにせ『先輩』の言うことだからな」
 さらに速水は続けた。
「なんなら今度、十年結婚生活が持つ方法でも、ご教授してくれ」
 安積の、破局に終わった結婚を辛辣に取り上げ、速水はわざと安積を傷つけるような言葉を選んだ。若い女に目がくらんでる男を演じることで、速水はなんとか理性を保とうとしていた。
 表情の読めない顔で速水の言葉を受け止めていた安積が、ふと、自分の腕の時計に目をやった。速水の顔を見上げ、安積は言った。
「終電時間が過ぎた。悪いが、今日は泊めてくれ」
「……好きにしろ」
 吐き出すように了承すると、速水はリビングへ立ち去った。安積も無言で上がり込むと、その後に続いた。


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