輪舞曲 -Rondo-. 1



 抱擁は、より深く、ぬくもりを求めてのことだった。
 速水は安積のうなじに頬を寄せ、唇で触れた。邪魔なネクタイや襟元のボタンをはずすと、肩口に顔をうずめ、安積の肌の温度を直に感じる。
「…………っ」
 速水の唇が肌をかすめるたびに、安積はぴくりと震えた。伏し目がちの顔はかすかに上気して、吐息を漏らさぬようになのか、唇は固く結ばれている。
 速水は抱きしめていた腕をゆるめると、なだめるように安積のこわばった頬に手を添え、唇をよせた。
 頬から目もと、額、まぶた、口の端。
 安積のやや湿った髪を片手でかき混ぜるように撫で、何度も小さなくちづけを繰り返す。だが速水は、ほんの数センチずれた唇に触れるのをためらっていた。
 ──いまならまだ、引き返せるぞ。
 あたたかな体を離せないくせに、速水はこう安積へ告げるかどうか迷っていた。
 今更だ、と速水は自分でも思う。
 好きだと告げ、こうして抱きしめている。もうけして元には戻れない。速水は分かっていた。感情を殺すことに慣れている自分なら、以前とおなじように振る舞い、笑える。しかし安積は、絶対にこの夜をなかったことにはできないだろう。
 だがこれ以上、俺が触れるのをやめれば。
 速水は手をとめて身を起こすと、腕の中の安積を見下ろした。身じろぎすらせずじっとしている姿は、なにかに耐えているようにも見えた。
 ──伝えた想いも、俺の一方的な感情というだけですませられる。
「……速水?」
 止まった手になにかを感じたのか、安積は顔をあげた。離すきっかけがつかめないのか、安積の両手はまだ速水の背にまわったままだ。
 女性とは違って硬く、だが自分よりもずいぶん細いその腕をいとおしく感じながら、速水は安積の頬に、もう一度口づけた。
 ──これが最後だ。
 惚れた相手を体ごと欲しくおもうのは、男にとってごく自然なことだ。ましてそれが長いあいだ焦がれ続けた相手だったら、なおさらだろう。
 しかし、安積はそこまで理解しているのか、速水にはわからなかった。
 この安積からの抱擁も、突発的な衝動か、情に流されてのことだと速水は思った。必死にすがりついてくる人を、見捨てられるような男ではないからだ。
 まだ体は飢えていて、両手は浅ましく安積のぬくもりを求めたままだ。この焦燥感は一度ふれてしまったからこそ、ますますつのるだろう。それでも速水の心は満たされていた。
 安積は告白を否定せず、受け止めてくれたからだ。
 それだけで速水は、救われる想いだった。
 ──だからこそ、この手を離さなければならない。
「安積。もう俺に──」
 もう俺に、付き合う必要はない。速水は抱きしめていた両腕を離し、そう続けようとした。
 その時、安積が速水の背から首へ両手をまわすと、ほんのすこし爪先立った。

 安積の唇が、速水の唇へ重なった。

「……逃げないと言っただろう」
 そっと唇をはなすと、安積は速水を抱きしめる手に力をこめ、やや苛立った声で言った。
「そんなに俺が信用できないのか」
「……安積」
 速水は真意をさぐるように、じっと安積を見つめた。安積もどこか恥ずかしそうな表情で、だがけしてそらさずに速水を見つめた。
 それは速水が大好きな、どんなことにもゆるがない、真っ直ぐな視線だった。
 速水はゆっくりとほほえんだ。
「馬鹿だな」
 そして先ほど安積にささやいた言葉を、今度は自分へ向けて言った。
 安積は、俺が惚れた男だ。
 刑事という仕事に誇りを持ち、どんな事件であっても事実だけを見据え、否定も拒否もせず、真実を受け止めてきた。
 そんな男が逃げないといったら、それは本当に、すべてを受け入れるという意味なのだろう。
 ──逃げていたのは俺のほうか。
 ふたたび強く安積を抱きしめ、ぬくもりを感じる。
 速水は長い間心に秘めていた言葉を、すこし震えた声でつぶやいた。
「好きだ」
「わかっている」
 安積も速水の背を抱く腕に力をこめ、はっきりと速水に告げた。

 二人はもう一度、今度は互いに見つめ合いながら、唇を重ねた。


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