抱擁は、より深く、ぬくもりを求めてのことだった。
速水は安積のうなじに頬を寄せ、唇で触れた。邪魔なネクタイや襟元のボタンをはずすと、肩口に顔をうずめ、安積の肌の温度を直に感じる。
「…………っ」
速水の唇が肌をかすめるたびに、安積はぴくりと震えた。伏し目がちの顔はかすかに上気して、吐息を漏らさぬようになのか、唇は固く結ばれている。
速水は抱きしめていた腕をゆるめると、なだめるように安積のこわばった頬に手を添え、唇をよせた。
頬から目もと、額、まぶた、口の端。
安積のやや湿った髪を片手でかき混ぜるように撫で、何度も小さなくちづけを繰り返す。だが速水は、ほんの数センチずれた唇に触れるのをためらっていた。
──いまならまだ、引き返せるぞ。
あたたかな体を離せないくせに、速水はこう安積へ告げるかどうか迷っていた。
今更だ、と速水は自分でも思う。
好きだと告げ、こうして抱きしめている。もうけして元には戻れない。速水は分かっていた。感情を殺すことに慣れている自分なら、以前とおなじように振る舞い、笑える。しかし安積は、絶対にこの夜をなかったことにはできないだろう。
だがこれ以上、俺が触れるのをやめれば。
速水は手をとめて身を起こすと、腕の中の安積を見下ろした。身じろぎすらせずじっとしている姿は、なにかに耐えているようにも見えた。
──伝えた想いも、俺の一方的な感情というだけですませられる。
「……速水?」
止まった手になにかを感じたのか、安積は顔をあげた。離すきっかけがつかめないのか、安積の両手はまだ速水の背にまわったままだ。
女性とは違って硬く、だが自分よりもずいぶん細いその腕をいとおしく感じながら、速水は安積の頬に、もう一度口づけた。
──これが最後だ。
惚れた相手を体ごと欲しくおもうのは、男にとってごく自然なことだ。ましてそれが長いあいだ焦がれ続けた相手だったら、なおさらだろう。
しかし、安積はそこまで理解しているのか、速水にはわからなかった。
この安積からの抱擁も、突発的な衝動か、情に流されてのことだと速水は思った。必死にすがりついてくる人を、見捨てられるような男ではないからだ。
まだ体は飢えていて、両手は浅ましく安積のぬくもりを求めたままだ。この焦燥感は一度ふれてしまったからこそ、ますますつのるだろう。それでも速水の心は満たされていた。
安積は告白を否定せず、受け止めてくれたからだ。
それだけで速水は、救われる想いだった。
──だからこそ、この手を離さなければならない。
「安積。もう俺に──」
もう俺に、付き合う必要はない。速水は抱きしめていた両腕を離し、そう続けようとした。
その時、安積が速水の背から首へ両手をまわすと、ほんのすこし爪先立った。
安積の唇が、速水の唇へ重なった。
「……逃げないと言っただろう」
そっと唇をはなすと、安積は速水を抱きしめる手に力をこめ、やや苛立った声で言った。
「そんなに俺が信用できないのか」
「……安積」
速水は真意をさぐるように、じっと安積を見つめた。安積もどこか恥ずかしそうな表情で、だがけしてそらさずに速水を見つめた。
それは速水が大好きな、どんなことにもゆるがない、真っ直ぐな視線だった。
速水はゆっくりとほほえんだ。
「馬鹿だな」
そして先ほど安積にささやいた言葉を、今度は自分へ向けて言った。
安積は、俺が惚れた男だ。
刑事という仕事に誇りを持ち、どんな事件であっても事実だけを見据え、否定も拒否もせず、真実を受け止めてきた。
そんな男が逃げないといったら、それは本当に、すべてを受け入れるという意味なのだろう。
──逃げていたのは俺のほうか。
ふたたび強く安積を抱きしめ、ぬくもりを感じる。
速水は長い間心に秘めていた言葉を、すこし震えた声でつぶやいた。
「好きだ」
「わかっている」
安積も速水の背を抱く腕に力をこめ、はっきりと速水に告げた。
二人はもう一度、今度は互いに見つめ合いながら、唇を重ねた。