花びら二片



 あたたかな日差しの中、時折冬を思い出させるような、冷たく乾いた風が吹き抜ける。
 村雨と桜井は朝からの聞き込みを一旦終え、署へ戻る途中だった。
「……!」
 突然、村雨の数歩後ろを影のように歩いていた桜井が、前方に走りだした。一点を見つめ、空中に手を伸ばすと、はしっ、と、なにかをつかむような動作をする。
 追い抜かれた村雨は呆気にとられ、思わず足を止めた。
「村雨さん。ちょっと、手をだしてもらっていいですか」
 桜井は自分の両手をのぞきこむと、うれしそうに目を輝かせながら、村雨を振り向いた。
「一体、なんだ」
「ちょっとだけですから。ええと、こう、お椀型に、手のひらを丸めてください」
 若い桜井が、自分の考えの範疇外の行動をすることはままあった。その意味不明な行動に、たまには付き合ってやらなければならない、と村雨は考えていた。
 ──注意するばかりでは、委縮するだけだしな……。
 村雨は軽く溜息をつくと、言われるまま胸の前で手のひらをすぼめた。
 その手の内に、薄紅色のちいさなものが一片、はらり、と舞い落ちる。
「……桜か?」
「どこから飛んできたんでしょうね。この辺り、桜の木は見当たりませんけど」
 きょろきょろと、桜井は辺りを見回した。
「それで? これを一体、どうしろと言うんだ」
「あ、どうっていうか。そうか、ローカルルールなのかな」
 桜井は村雨の手の中にある花びらを、ちょん、と指先でつつきながら言った。
「これは、幸運のお守りなんですよ」
 散った桜の花びらを、地面に落ちる前に、空中でキャッチするんです。桜井は説明を続けた。
「捕まえられたら、それはラッキーで、さらにこれが 『幸運のお守り』 になるんですよ!
持ってるだけで、幸せがやってくるらしいです。四葉のクローバーみたいなもんですね」
「……ずいぶんと、少女趣味だな」
 うれしそうに話す桜井に、村雨はややあきれた声でつぶやいた。
「あ、わかります? 実は小さいころ、姉貴に教わったんです」
 だから正直、桜井家オンリールールかもしれないんですけど。桜井はすこし照れた様子で、一方の手も村雨に伸ばした。
同じように、もうひとひら、村雨の手の中に花びらを落とす。
「はい。これは娘さんの分です」
 なんか、すごくないですか? 両手でとれちゃいましたよ。そう言うと、桜井はほがらかに笑った。
「おまえの分は、どうした」
 二枚の花びらのかすかな感触を感じながら、村雨は怪訝そうに桜井の顔を見上げた。
「え、別に必要ないですよ。……だって俺、いま幸せですもん」
 これで、今回の犯人もすぐに確保できれば、もっと幸せなんですけどね。
 頭半分は低い、自分の上司を優しげに見つめながら、桜井は冗談交じりに答えた。
「…………」
 村雨は、桜井のその言葉が、本心から出たものではないことを感じた。
 ──だが、今は問いただしている暇は無い。
 村雨は桜井に、静かに告げた。
「娘は、俺が幸せにする義務と、権利がある」
 村雨は小指の爪ほどの花びらを一片、そっとつまむと、桜井に差し出した。
「これは、お前が自分で持っていろ」
「……はい」
 桜井はどこか寂しそうな表情を一瞬だけのぞかせたが、すぐに笑顔にもどった。村雨の指先で白く光る花びらを、愛おしそうに、手のひらで受ける。
「どこにしまおうかな。……あ、手帳に挟めば、いつでも持ち歩けますよね」
 そう言うと桜井は、いそいそと胸ポケット探った。村雨も花びらの乗った手をかるく握りながら、もう片手で手帳を取り出した。
 見慣れた桜の紋を、あらためて見つめる。
 ──桜の紋に、桜の花びら。それをくれた、桜井。
 『桜』という符丁の重なりに、ふと、村雨の頬がゆるんだ。唇に、ほのかな笑みが浮かぶ。
 その村雨の頬笑みに目をとめた桜井が、やはり微笑んで言った。
「うん。やっぱり、この 『幸運のお守り』 効果はすごいですよ」
「なんだ?」
「いえ。なんでもありません」
 ひどく楽しそうな笑顔で自分を見つめてくる桜井に、村雨は軽く目をみはった。
 ──確かに、今は幸せそうに見えるな。
 目まぐるしく感情の変化する若い部下に、村雨はやれやれと、かるく頭を振った。
 今は、仕事だ。そう思考を切り替えると、止めていた足を踏み出し、桜井に告げる。
「帰るぞ」
「はい!」
 二人は明るい空の下、署へ足を速めた。

                                             END

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