あなた色のコーヒー



「水野さんもコーヒーどうぞ」
「ありがとう、黒木君」
 水野は軽くほほえみながら、黒木が掲げもつ盆から自分のカップを手にとった。
 書類から目を上げたついでに、なんとはなしに部屋全体を見わたす。
 いつもは話し声や電話のベルがひっきりなしに響いているデカ部屋だが、今日は凪いだように静かだ。となりの相良班も不気味なほどに落ちついている。
 傷害事件の現場検証に出ている村雨・桜井コンビからも、もうすぐおわって署にもどるという連絡があった。
 外には木枯らしが吹いていたが、窓からさんさんとはいる日差しはあたたかく、水野はついあくびがでそうになった。
「……静かね」
「書類がはかどって助かるよ」
 おなじく黒木からカップを受け取った須田が、水野のつぶやきにこたえた。
 須田もどことなくのんびりした様子で、おおきく伸びなどをしている。
 こんなとき、本来なら部下に喝をいれるべき立場のハンチョウ──安積までが、さきほど 「外の空気をすってくる」 と言い残してふらりとでていった。たぶん屋上にでもいっているのだろう。そこが安積のささやかな休憩場所であることを部下は皆しっていた。
「あれ、水野ってブラックじゃなかった?」
 水野が手にしている薄茶色のコーヒーを見て、須田がふしぎそうに声をかけた。
「そうでしたか。すみません、まだ覚えてなくて」
「いいのよ。ありがとう」
 よかったらこれ、まだ口つけていませんが。そういって自分のブラックコーヒーのはいったカップを差し出そうとした黒木に、水野はほほえんで頭を振った。
「それにしても須田君。私の好きなコーヒーなんて、よく覚えてたわね」
 ほんのすこし早まった鼓動を隠すように、水野はつとめてそっけない口調で須田に言った。
 ──一緒にコーヒーを飲んだのはずいぶん昔のことなのに。どうして覚えているの?
「そりゃ、忘れられないよ。ブラックしか飲まないおまえに、胃に悪いからミルクだけでも入れたら? って言ったら……」
 当時の様子を思い出したのか、須田はくすくすと笑った。
「『微糖の缶コーヒーも許せない私に、クリープだけはいった中途半端な味のコーヒーを飲めっていうの?』 って、ものすごい剣幕で怒られたんだよ」
「……そうだった?」
 小首をかしげて水野は覚えていないような顔をしたが、内心ではそんなこともあったな、と当時の会話を思い出していた。須田と話した言葉は、ふしぎと何年たっても鮮明におぼえているのだ。
 ──たしかにあの頃は、コーヒーだったらなにも入れないか、砂糖とミルクをたっぷり入れたしっかりと甘いものか、どちらかじゃないと嫌だった。コーヒーの味に限らず、なんにでも白黒はっきりつけたかった。……須田君に対する、自分の気持ちにすら。
「あの……」
 脇で二人の会話を聞いていた黒木が、生真面目な口調で水野につげた。
「それにも砂糖、はいっていません」
「もってこようか?」
「ほんとうに大丈夫よ」
 水野はふたりを安心させるようににっこりと笑い、やわらかな色合いのコーヒーを一口すすった。
 それはすこしぬるく、水野の好みよりやや薄めだったが、やさしく、ほっとさせる味だった。
「おいしい」
 須田もまた、手にしたカップを口にはこんだ。その中身も、やはり薄茶のあたたかな色をしたコーヒーだった。
「うん。うまい」
 黒木は黙って自分のコーヒーを飲んでいるが、その表情はどこかうれしそうだ。
 そんな二人の様子を見、ふたたび明るい窓に視線を向けると、水野はちいさく溜息をついた。たまった疲れを吐き出すのとはちがう、満ち足りた想いから生まれた吐息だ。
 ──ここでなら、のびのびと仕事ができるだろう。
 水野は確信していた。コーヒーにこだわりを無くせたように、自分は変われる。人によっては妥協というかもしれないが、年をとるごとに柔軟になっていける、今の自分がすこしだけ誇らしかった。
 はっきりとした答えがだせなくて、ずっと放っておいた想い。ここでなら、それにもゆっくりと向きあえるだろう。
 水野は須田に目を向け、そっとほほえむと、もう一度コーヒーをすすった。

                                             END

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